「もう具合はいいんですか?」
「ええ。おかげさまで。ありがとうございました。早苗さん。」

風邪から回復した俺は、早苗さんに電話をかけていた。
礼の言葉。
それともうひとつ、俺の疑問にも答えて欲しかった。

あの日、早苗さんが帰った後、この家の世話は誰がしてくれたのか。
早苗さんであって欲しい。

もし・・・そうじゃなかったら。
そんな事をするのは、一人しかいない。


「あの・・・早苗さん。」
「はい?」
「あの、俺が寝てる時、汐の迎えは、誰が行ってくれたんですか?」
「もちろん、早苗さんなんですよね?」

「うふふ。」
「な、何ですかその笑いはっ。」

「風子ちゃん、ですよっ。」
「え・・・・・・・?」

一番回避したかった回答が返る。
「偶然うちにパンを買いに来た風子ちゃんにですね、汐ちゃんのお迎えをお願いしたんです。私も、手を離せなかったので。」
「あ、そうだったんですか・・・。」

・・・・それじゃ、仕方ない。

「じゃあ、ご飯の用意とか、俺の看病とかしてくれたのは・・・。」
「きっと風子ちゃんですね。私、風子ちゃんに任せておけば大丈夫だって思ってましたから。」
「大成功でしたっ。」

受話器の向こうで、ニコニコしている早苗さんが想像できる。
「はぁ・・・。」

「朋也さん、きちんと風子ちゃんにも、お礼を言わないとダメですよ。」
「え、それは、まあ・・・。」

「デートなんて、どうですかっ。」
「うえ!?」

「日頃朋也さんを助けてくれる風子ちゃんを、お礼もこめてデートに誘うんですっ。」
「きっと大喜びですよ。」

この人はまた、とんでもないことを言い出す・・・。

「・・・そうですかね。あいつは汐が目的で来てるんだから、俺が誘ったところで来るわけがないと思いますよ。」
否定的に返す。

「いいえ。そんなことないと思います。」
「そうでしょうか・・・。」
「風子ちゃんは照れ屋さんなんですよ。」

照れ屋・・・・。

あいつが・・・・・・・。

ありえない。

「まあ、だめもとで誘ってみますけどね。」
話が長くなりそうなので、切り上げるように返事。

「そのときは、汐ちゃんのお世話は任せてくださいねっ。」
嬉しそうだ・・・・。
何でこの人は、自分の娘の旦那を、他の女とくっつけたがるんだ・・・・?

「それでは朋也さん。」
「はい。それじゃ、おやすみなさい。」
「おやすみなさい。デート、考えてあげてくださいね。」


がちゃん・・・。


「・・・・・はぁ。」
なんかすごく気が重い。

「パパ。」
重い気分で受話器を置くと、その横に汐がいることに気がつく。
「ん?どうした?汐。」

「おさら、ちゃんとふけた。」
にこにこしながら言う。


夕飯の後、俺が皿洗いをしていると、汐が自主的に申し出てきたのだ。
「おさら、ふく。」

子供がこんな風に、自分から手伝いを進み出るなんて、大きな成長なんじゃないだろうか。
そう思って俺は、汐に皿拭きと片づけを任せ、その間に早苗さんに電話していたわけなのだが。


「きちんと出来たな。えらいぞ。」
ぐわしぐわしと汐の頭をなでる。
汐は嬉しそうに表情を崩す。

「でも汐、なんで急に皿拭きなんて?」

ふとした疑問を口にする。
確かに、汐のこういう傾向は嬉しい。
しかしこんな事を急に言い出すなんて、何かきっかけがあったんじゃないかと思うのだが・・・。

「あのね。」
「ふぅちゃんに、おしえてもらった。」

「――――――――――え。」

「ふぅちゃん、さらふきはやい。」
「だから、おしえてもらった。」
「パパのてつだい、したいから。」

それらを笑顔で語る汐。

風子が、そんなことを・・・。

「ふぅちゃん、ものしり。」
「汐、もっとたくさんおしえてもらいたい。」



次々と出る風子の話。

もう汐にとって、風子はなくてはならない存在のようだった。
風子から伝え聞いたことを、自分のものにしていく汐のさまは、
それは本当の母子のようで――――――――



「・・・・あのな。汐。」
「なに?パパ。」
「お前のママは、渚だ。」 「うん。」

「風子じゃないんだ。」
「うん。」
「だから、あんまり風子の話はするな。ママが悲しむ。」

「・・・・・・・・?」

うまく話が伝わっていないようだ。

「あのな――」

「パパは、ふぅちゃんとなかよし。」
「だから、汐もふぅちゃんとなかよし。」


・・・・・・・・・。


ああ・・・・・・・。
俺の見積もりが甘かったのかなぁ・・・・。
本当に、汐は風子に篭絡、そして俺も・・・・。



「パパ。」
「・・・・・ん?」
「パパは、ママのほうが、ふぅちゃんよりすきなの?」

・・・・・・・。

そりゃ・・・。

「ああ。そうだよ。」
「そう・・・・・・・。」



待て。

なんでそこで悲しそうな顔になるんだ。
汐は振り返り、皿を戸棚にしまっていく。

・・・・。

当然じゃないか。 結婚した女性の事を、一番に思って何がおかしい。

たとえその人が、もうこの世にいなくても。
風子を一番大事に思うことは、渚を裏切ることになるから・・・。


(風子ちゃんと、仲良くしてあげてくださいねっ。)


・・・・・・。

ああ、そうだった・・・。

一応、風子をデートに誘うんだった。
仲良くするだけだ。決して、好きとか嫌いとか。そういうの、考えちゃいけない。
俺は、渚と結婚した、あいつの一番好きな人なんだからな。




「そんなのいやに決まってますっ。」

風子との電話。
・・・予想通りの返事が返る。

「そうか。」
「そうですっ。」
「それならいいんだ。じゃあな。」


・・・ふう。

やっぱりこうなったな。

すこし寂しい気もするが、まあいい。
何より、今の俺にとっては都合がいい――――――


「待って下さいっ!!」


「こら。でかい声を出すな。耳がキンキン言うだろう。」
「そんな簡単にあきらめてしまうんですかっ。」

「ん?ああ。別にどうしてもってわけじゃないんだ。」
「嘘ですっ。岡崎さんは、風子を誘いたくてしょうがないはずですっ。」

「ばか。そんなわけあるか。」
「いいえっ。岡崎さんは風子にお礼がしたくてしょうがないんですっ。」
「風子は忙しいですけど、岡崎さんがそういうつもりなら、風子はびっしりとしき詰まったスケジュールを調整して、会ってあげない事もないですっ。」

「いそがしいなら無理しなくていいぞ。その調整とか、面倒だろうしな。」 「すみませんっ。風子言い過ぎました。」

「本当はスケジュールなんて、おねぇちゃんのお手伝いくらいしかないですっ。」 「・・・・まあ、そんなことだろうと思ってたけどな。」

初めからそう言わないのが、その、風子らしい所なんだろう。
俺は思わず苦笑する。


「で、風子。明日デート、いいのか?」
「はい。お願いします。」

「・・・・・本当にいいのか?ふたりだけだぞ?汐もいないぞ?」 「はい。我慢します。」

「・・・我慢するくらいなら、来なくていいぞ。楽しくないだろうし。」
「すみませんっ、今のは忘れてくださいっ。」
「本当はその、とっても嬉しいですっ。」


う、嬉しい・・・。
嬉しいのか、風子。


「そ、そうか。よし。じゃあどこで待ち合わせるか。」
「駅前がいいです。この街で、デートの待ち合わせといえばそこですっ。」
「よし。じゃあ時間は10時でいいか?」

「はいっ。風子、頭にしっかり叩き込みましたっ。」
「じゃあ、忘れるなよ?風子。」

「岡崎さんこそ、忘れないで下さいっ。」

「・・・・・・・・じゃ、お休み、風子。」
「はい・・・・。おやすみなさい。岡崎さん。」



何だろう、この感覚。

嬉しいような、こそばゆいような、これからの事が楽しみで仕方ないって言う感覚は。
渚に告白した、あの次の日のような。
この日から二人は恋人だって、言っていた時のような―――


「あっ、まだ切らないで下さいっ!」
「うえ!?」

「あ、あの・・・・・。」
「ど、どうした?」

・・・・・・・・・。

なんか、寝る前に恥ずかしい言葉でもかけてくれるのだろうか?
渚とはずっと同居状態だったから、こういう電話の間でのやり取りは、俺は今でも、少し憧れる所があるわけで・・・・。

「汐ちゃんと話させて下さいッ!」


・・・・・・いや、風子は、こんな奴だった。







がちゃん。


汐が受話器を下ろす。 「風子、何だって?」

「ん〜・・・。」
「いっぱいはなしたから、よくわからない。」

「そうか。」
「でも、パパとデートするっていってた。」

「あ、ああ。」
「えへへ。」

「な、なんだよ。」
「やっぱりパパは、ふぅちゃんがすき。」


―――――――っ!

「ば、ばか。パパをからかうな。」
「汐、うれしい。」

・・・・・・・・ぐう。

もう、どうしたらいいんだろうな。俺は・・・。



「でも、ふぅちゃんいってた。」
「ん?なんて?」
「こんどこそ風子は、てごめにされるかもしれませんっ、って。」

「・・・・・・・・・・・。」

「パパ、てごめって」
「ああ汐!気がつけばもう九時だ!汐のみたいドラマが始まるぞっ。」

「おお。そうだった。」
ぷちんとテレビを点ける。

・・・・・助かった。

はぁ。風子も汐にいろいろ教えてくれるのはいいけど、変な事教えるなよな・・・。



「みすずちゃん。」
「おう。今日もがおがお言ってるな。」



・・・以前に、あの有名な恋愛映画「Kanon」を観にいって以来、汐はドラマにはまり始めた。

なんてませた5歳児だと、少し思う。
まあ、おかげで助かったわけだけど。

今見ているのは、「AIR」という恋愛ドラマだ。
恋愛というには、少し語弊があるかもしれないが、空の果てにいるという少女を捜して旅をする、一人の青年の物語だ。
俺も汐と一緒に、毎週楽しみに見ていたりする。


「このいぬさん、かわいい。」
「ぴこぴこって、犬じゃないだろ・・・・。」


とにかく、明日。
なんつうか、数年ぶりのデート、だな。

・・・相手は渚じゃなくて、渚以外の女とだけど。

これは、お礼だ。俺が風邪でダウンしていた時、汐の世話を焼いてくれたことの、お礼なんだ。
深い意味なんてない。うん。そうだ。
そう思ってしまえば、風子とのデートなんて、たいした意味もない・・・・。


「ねぇ、パパ。」
「ん?どうした。」

「パパ、ふぅちゃんとちゅーするの?」

「・・・・・・・・・。」

「バ、バカ言えーーーーーーーーーーーッ!!!!」