・・・午後3時。

うーむ。
なんだかすごく不安だ。
汐を引き取ってから、ずっとこの時間は幼稚園に向かってダッシュしている時間。
しかし俺は、まだ仕事を続けている。

「今日は抜け出さないのか?」
仕事先の仲間の芳野さんも、気になっているようだ。
「え、ええ。大丈夫なんですよ。今日からは。」
「あの早苗さんに、また頼むようにしたのか?」
「あ、ああ。いえ・・・・。そ、そんなところです。」

なんとなく答え辛かったので、言葉を濁してしまう。
「歯切れが悪いな。言いにくいなら追求しないが・・・・。」
「また汐ちゃんを放り出すって言うんなら。俺は黙っちゃいない。」

「あ・・・・・。」
「いえ!全然そういうんじゃないです!ただ、あいつに任せていいのかなって・・・・。」
「・・・あいつ?」
「う・・・・。」

少しずつボロが見え始める。
でも、事が事だけに、芳野さんに知られるのは・・・・。

「ああ・・・・。ひょっとしてアレか?」
「な、なんですかっ。」
「汐ちゃんに、新しいママがやってきた。」

「ぶふううううううううううっ!!!!!」

的を得て過ぎていて、俺は思わず噴出す。
「こら、回路を開いたままつばを吐くな。錆びるだろ。」
「は、はい。」

「そうかそうか・・・。お前もついに再婚か。」
芳野さんがニヤニヤする。
「べ、別にあいつとはそういうんじゃ・・・。」
・・・でも、ゆれているのは事実。

「そうだ。オレに紹介してくれないか?」
「ええ!?」
「今日はお前のうちまで寄らせてもらうぞ。汐ちゃんを迎えに行ったということは、お前が帰るまでは部屋にいるんだろ?」
「あ、いや、その、あの、多分・・・・・。」
「やっぱりここは、仲間として挨拶しておかないとなっ。」

・・・・・どうしよう。
もしその相手が風子だって知られたら・・・。



(おじゃましまーす!)

(あ、お義兄さんですっ。)
(な、何!風子がお前の押しかけ妻なんだってーッ!?)
(はい。い、一応・・・・。)

(一応じゃありませんっ。風子は既に岡崎さんには手篭めにされかけましたっ。行くところまで行っちゃってるんですっ。)
(まったく岡崎さんは、飢えたケダモノですっ!)

(な、何いっ!!?手篭めッ!!?お前、汐ちゃんの前でそんなことを・・・!!!)
(いや!違いますって!!な、汐、パパはそんなことしてないよなッ!!?)
(パパ、ふぅちゃんをおきがえさせてた。)
(し、汐ッ!!?)

(お、お着替えだと・・・・・ッ!!?)

くらっ・・・・。

(よ、芳野さんッ!!?)
(岡崎・・・お前って奴はーーーッ!!!)

(う、うわあああああああああああああ・・・・・・・・・。)



ぞぞぞぞぞ・・・・。

俺は背筋が寒くなる。
「よし。じゃあここの仕事を片付けたら、事務所に戻るか。着替えるまで待ってろよ。」
「は、はい・・・・。」
「ん?オレの家の事なら心配するな。公子には連絡入れておくからさ。」
芳野さんは、もうすっかりその気だ。
俺は、腹を括るしかなかった・・・。


・・・・・・・・・・。



「手ぶらじゃ悪いからな。」
二人でオレの家に向かって歩く。
芳野さんの手には、商店街の肉屋のコロッケ。
「ここのコロッケはうまいんだぞ。」
「は、はあ・・・・・。」
ホクホク顔の芳野さんと対照的に、俺はこの後の展開を考えて、不安になる。

「どうした?浮かない顔だぞ?」
「い、いえ・・・・。」
「ひょっとしてアレか。俺には見せられないとか、思ってるのか?」
「あ!ああ、いえ、そんな・・・・。」

「岡崎。」
ぽんと、オレの肩に手を置く。
「は、はい?」
「女って奴は・・・顔じゃない。」
「はぇ!?」

「一番大事なのは、本当にお前を思ってくれているかどうかだ。」
「俺はそれくらい心得ている。だから少しくらい顔が悪いとか、太いとか全然気にすることじゃないぞ。」
「逆にそんなことで自分の女を見せられない奴は、自分がその女を本当に愛していない証拠だ。」
「岡崎・・・・。男も女も・・・。」
額に手を当て、目を閉じて陶酔のポーズ。

「要は、ハートだ。」
「・・・・・・・・。」

「芳野さん。信号赤です。」
「え?うおっ!!!?」

間一髪、横断歩道で踏みとどまる。
「目を閉じて歩いてるからですよ。」
「ああ・・・。助かった。」

「とにかく、そういうことだ。岡崎。」
「は、はい・・・・。」

「あ、でもあまりに幼い少女を連れ込んでるって言うなら、俺は止めるぞ。流石にそこまで行くと犯罪だからなっ。」
あははと笑う芳野さん。

愛・・・・。
ハート・・・。 本当にそんなので、芳野さんは風子がうちにいることを納得するのか?
芳野さん、義妹の風子をすごくかわいがってるからなぁ・・・。

俺はまた、深いため息をついた。




・・・・・・・・。

オレの部屋のドアの前で俺は立ち止まる。
その手は、ドアノブの手前で止まっていた。

「どうした、開けろよ。」
急かす芳野さん。
「は、はい・・・・・。」
鍵は開いてる。
中に人もいる。

・・・・・・ダメだ。もうおしまいだ・・・。
「岡崎。」
俺は・・・ここまでか・・・!!

がちゃ!

俺は覚悟を決め、そのドアを開けた!






「あ、朋也お帰り〜。」

・・・・・え?

「パパ、おかえりなさいっ。」
「・・・汐。」
「何で、何でお前がいるわけ?」

いると思われていた風子の姿はそこになく・・・。
台所に立っていたのは、・・・・・杏だった。

「あのね、今朝は確かにふぅちゃんが来たんだけど・・・。帰りの時間になっても来なかったのね。」
「だからわたしが部屋まで送って、あんたが帰るまで汐ちゃん預かる事にしたの。・・・勝手しちゃったかな?」

「あ、いや、そんなことない。助かった。」
「うん。」
風子が来なかった?
あいつ、何やってるんだろ・・・・。

「おい岡崎、もう入ってもいいか?」
「え!」
俺とドアの隙間から、にゅっと顔を出す芳野さん。

「あ、よしのさん。」
「汐ちゃん。こんにちは。」
「こんにちは。・・・で、そっちは・・・・。」
「あ、こ、こんにちは。朋也の・・・会社の?」
応対する杏を見て、にこっと笑う。
オレを押しのけ、玄関に立つ。

「はじめまして。私は岡崎の仕事仲間の芳野といいます。岡崎がいつもお世話になっています。」
「い、いえ!ええと、こちらこそ、朋也がお世話になって・・・・。」

・・・・なにか、間違ってきている気がするが。
芳野さんがオレに小声でささやく。

「すごい美人じゃないかっ。」
「あ、あの・・・・。」
「お前も人が悪いな。」
「いやあのその・・・・。」

「コレ、お土産です。みんなでたべてください。」
持ってきたコロッケを差し出す。
「あ、わざわざすみません〜。」

杏・・・。お前も何をやってるんだよ・・・。




その後俺達は、夕食を共にする。
夕食は杏が腕を振るった。
こいつの料理なんて、高校以来だ・・・。
変わらぬその腕前を、久しぶりに味わう。

「おいしい。」 汐もにこにこ。
「藤林さんは、料理がお上手ですね。」
芳野さんも絶賛だ。
「いえいえ・・・そんなことないですよ。」
そう言いながらも、頬を染めてにこにこ顔で・・・。

俺はそんな三者を複雑な気持ちで見ていた。

「どうした岡崎。箸が進まないようだが。」
「ああ、いえ・・・・。」
「オレの買ってきたコロッケもさることながら、このとんかつなんて絶品じゃないか。」
もぐもぐとほお張る芳野さん。

「おいしい。」
「よかった。いっぱい食べて。汐ちゃん。」
「うん。」

また芳野さんが耳打ちする。
「汐ちゃんも懐いてるみたいじゃないか。」
「ああ・・それは多分、杏が汐の幼稚園の先生だからだと思いますよ。」
「ほう・・・・。なるほど。そういうことか。」
「なんですか、それ・・・・。」

・・・・・・・。


「今夜はご馳走様でした。」
「いえ。またいらしてくださいね。」
玄関で芳野さんを見送る。
「藤林さん・・・。今後もこの男を、末永くよろしくお願いします。」
ぐっと頭を下げる芳野さん。
「はい。芳野さんも、朋也をお願いします。」

こいつ、何言ってるんだ・・・・。

「確かに任されました。それでは、おやすみなさい。」
「おやすみなさい・・・。」

芳野さんは帰っていった。

「ふぅ・・・・。」
やっと帰ってくれたか・・・。
「芳野さんって、いい人ね。」 杏が笑顔で言う。

「そんなことより・・・。」
「どういうつもりだよ。お前。」
「どういうつもりって・・・・。別に?」

流しに向かい、食器を洗い始める。
「何で芳野さんに気に入られようとしてるんだよ。あの人、誤解しちゃったじゃないか!」
「誤解?」
「その・・・・お前が俺の恋人で、再婚相手だって・・・。」
「あ、やっぱり?えらくかしこまってたもんね。そうかそうか。」

気にした様子もなく、また食器を洗い始める。
「杏・・・。」
「そんな心配することないわよ。今日だけなんだから。」
「・・・・・。」

「なによ。わたしにいられちゃ、迷惑って言うの?」
「いや、そういうんじゃないけどさ・・・・。」
「じゃあいいじゃない。」

なんていうか、風子に申し訳立たないっていうかさ・・・。
でも、なんかその言葉を口に出せず、そのまま座り込んだ。

「ふぅちゃんのこと、気にしてるんだ。」
「!」
「やっぱり、ね。」

杏は少し微笑むと、また食器洗いに戻る。
「・・・・・・・・。」

「風子、どうしたのかな・・・・。」




・・・その頃、伊吹家。

「わーっ!!空が暗いですっ!!もう夕ご飯も終わっちゃってます!わわわーっ!!!」

「わ、どうしたのふぅちゃんっ!」
「風子、激しく寝過ごしてしまいましたっ!」
「おねぇちゃんは、どうして起こしてくれなかったんですかーっ!!」

「え?だって今日は平日よ?いつもどおりふぅちゃんはお昼寝してたじゃない。」
「それに、岡崎さんの家に行くのは日曜日じゃ・・・。あ、そういえば、今朝早くふぅちゃんでかけてたっけ。」
「そうです!今日から毎日岡崎さんの家に・・・あーっ!もう最悪ですーッ!!」




「じゃ、また明日ね。汐ちゃん。」
「おやすみなさい。せんせい。」
片づけを終え、ようやく杏が帰ろうとする。
「・・・なによ。その「やっと帰るのか」って顔は。」
「別に。」
「あのね。私は今日、あんたが帰ってくるまで汐ちゃんの面倒見てあげてたのよ?感謝して欲しいくらいなんだから。」
「・・・分かってるよ。今日は、さんきゅな。杏。」
「な〜んとなく、心が篭もってないけど・・・。」
「いや、感謝してるよ。お前がいなかったら、汐は暗くなるまで幼稚園に置き去りになるところだった。」
「風子には後で言っておかないとな。」

「・・・そうね。」 「じゃあ、わたしかえるね。」

「ああ。」 「また!今日みたいなことがあったら・・・。またここに来てもいいかな?」
「え?・・・・ああ。また風子が忘れるようなことがあったら、な。」

「うん・・・・。そうね。」 「じゃあ、朋也。」 「ああ。」

杏はアパートの階段を下りていく・・。

「・・・あいつは。」
なんで俺と別れる時、あんな寂しそう顔をするんだ。
さっきまで、あんなに笑ってたのにさ・・・。

「せんせいとパパはおともだちだから、さよならはさみしい。」
「!!・・・・汐。」 オレの横にいた汐が呟く。
「汐も、ようちえんのおともだちとわかれるときは、さみしい。」
「うん・・・。そうだよな。友達。うん。」 「うん。」




そうだ。俺と杏は・・・友達なんだよ。
だからあんな寂しい顔になるし、俺も、それを見て胸が・・・締め付けられるんだ。

きっと、きっとそうなんだよ・・・。

杏・・・。