「パパ・・・。」
「ん〜。熱があるようですよ。」
「そ、そうですか、やっぱり・・・・。」

くうう、寒気がする。
布団の中にいるのに、身が縮まるように寒い。
口は開きっぱなしだ。呼吸がうまく出来ない。

「昨日の、仕事のせいか・・・。」
昨日の現場は、でかいビルの屋上、すごく寒いところだった。
高所恐怖症ではないが、その冷たい風にやられたらしい・・・・・。

今朝になって調子が悪くなり、汐に早苗さんに電話してもらって、こうして看病してもらってるわけだ・・・・。


「すみません・・・・・。また、早苗さんに迷惑かけちゃって・・・。」 「いいえ。気にしないでください。それに、朋也さんは最近がんばりすぎですから、たまの休暇と思って、ゆっくり休んでください。」

「はは・・・。だって、汐のためですから。」
「その朋也さんが倒れてしまったら、汐ちゃんが悲しむんですよ。」 「・・・・・・・・。」

心配そうな娘の顔。
俺の顔を、じっと見つめている。

はぁ。

・・・痛いところをつかれた。
やっぱり、この人にはかなわないな・・・。


「では朋也さん。わたしは汐ちゃんを送った後、家に戻りますが、おかゆを用意しておきましたから、温めて食べてくださいね。」
「はい・・・。」

「パパ。」
「ん?」
「いってきます。」
「おう。いってこい。」

「うん・・・。」
「ほら、だめよ汐ちゃん。ちゃんとパパに元気良く挨拶しないと。」

「うんっ。」
「パパッ!いってきます!」

「おう!」
「うふふ・・。では。朋也さん。あまり動いちゃダメですよ?いってきます。」


がちゃん。


・・・・・・。


二人は外に出る。そして当然、
「暇だ・・・・・・。」
暇になる。

・・・テレビでも見るかね。


ごろり。

ぷち。


ニュースが始まる。
むう・・・・・。
面白くねぇ・・・・。


「ぬおーっ!暇だ・・・・。」

・・・・・・・・。

昔はこういうとき、春原でも呼んで遊んでたんだけどな。
一人っつうのは、退屈だ・・・。
・・・早苗さんから、体を休めとけって言われてるし、寝るか・・・・。

一日中寝ていれば、少しは熱も引くだろう・・・。
高校生、怠惰な頃は、良くやったなぁ。

ん、じゃあ、寝るか・・・・。
俺は額に、早苗さんが用意してくれた、つめたい氷嚢の感触を感じつつ、まぶたを閉じた。







「・・・・・・もやく・・・」
「ん・・・・・・。」

「とも・・・・ん」
「んん・・・・?」

誰の声だろう。
すごく・・・・懐かしい・・・・。

「ともやくん・・・・。」
「ふあ・・?」
「朋也くんっ!」

「ええええええええええっ!!?」


がばっ!!


「あ、やっと起きました。」
「あ、あれ?俺は部屋に・・・。」

「朋也くん、もう放課後です。」
「って、お前、渚っ!!?」
そんなばかな。渚は5年前に・・・・。

「何をびっくりしているんですか?」
「え、だってお前は」
「あ、朋也くんがいつまでたっても教室から出てこないから、心配になって見に来たんです。そしたら、机で寝てたので。」

「朋也くん、苦しそうだったので、起こすことにしました。」
「教室・・・・・・?」

た、確かに言われてみれば、渚も俺も制服姿。
ここも、あの日の教室だ・・・・。

「どうしたんですか?朋也くん。なんか変ですよ?」
「いや、なんでもない・・・。」


なんでもない事なんてない。
俺はアパートの一室、俺の部屋で寝ていたはずだ。
なのにどうして今、高校の教室で居眠りなんてしてるんだ・・・・。


「?」

俺の顔を覗き込む渚。
その姿は間違いなく、俺の目に遠い昔に焼きついた、高校生の時の渚。

なんでその姿で?
大体、高校生って言うのがおかしい。
俺達はとっくの昔に結婚して、汐って言う子供も・・・。


・・・あ。
そうか。
これは夢だ。

どうやら俺は、高校生の時の夢を見ているらしい。
なんでまたそんな夢を・・・?

ひょっとして寝る前、高校のときの自分とか、春原とかのことを思い出したからかな・・・。
じゃあ、これは高校のときの記憶か?
・・・でも、俺の教室で二人きりになったことなんて、あったっけ?

演劇部の教室でなら、何回かあったけど・・・。


「もう。最近朋也くん、なんか変です。私のこと、避けてるみたいで。」
「え?」
「ひょっとしてあの、私に、何か隠し事・・・・とか。」

「ええ?」

そんなばかな。
こんなこと、言われた記憶なんてない。
当時だって、俺は渚に隠し事なんて、何もしてなかったはずだ。

ましてや、渚を避けるなんて・・・。


「岡崎さんっ!」
「?」

「んなっ!!?」
「やっと見つけましたっ。風子に黙って帰ったんじゃないかと、怒り心頭ですっ。」

ふ、風子!?
教室の出入り口から、風子がとてとてと駆け寄ってくる・・・。

「でもこうやって、ちゃんと学校に残っていたので、風子の愛はぎりぎりセーフですっ。」
「あ、愛だぁ!?」

な、なんで風子が、こんなところに?
しかも、見たことのないはずの制服姿!?

風子の愛とか言ってるし・・・。
な、何がどうなってるんだ・・・。

「さあ、帰りましょう岡崎さん。今日も夕ご飯は、風子が腕をふるいますっ。」
「あ、あ、あ、え?」

状況がまったく分からない。
これは俺の記憶じゃないのか。
俺の記憶にこんな、風子がいた記憶なんてないはず――――



「朋也くんっ・・・。」
「え、渚・・・。」

見れば渚は目に涙をためて、わなわなと震えていた。 「そういうことだったんですねっ。」 「え、あ・・・・。」

交互に渚と、俺の腕にしがみつく風子を見る。
「そうですよね。結局私には、朋也くんは同情してただけで、私が勝手に、思い、こんでて・・・。」



そんな!ちがう!
俺はお前を、同情とか、好奇心とか、そういうんじゃなくて、
俺を支えてくれたお前の力になりたくて、一生懸命がんばっても報われないお前を、祝福してあげたくて、

お前に、笑って欲しくて――――


・・・と、どうしてそれが声に出ないのか。
「岡崎さんっ、いきましょうっ。」


風子・・・!

そもそもこいつが、風子が、俺の夢の中にまで出てくるから!
こんなところにお前がしゃしゃり出てこなければ、俺も、渚も・・・!

「・・・・岡崎さんは、風子を好きだといってくれました。」
「・・・・え?」

―――声が出る。それは、風子の言葉に対して。

渚は、ただ俺達を見つめている。
「岡崎さんは、風子が好きだって、言ってくれました!」


「毎日のようにやってきて、汐にちょっかいだして、元気に俺達の事振り回して、変な言動で俺達を笑わせて。」
「不意にしおらしくなって、でも素直じゃないところがあって、目的に向かって、いつも一生懸命で―――」

「そんな風子が好きだって、言ってくれたんです・・・。」


言葉が出ない。それは先ほどまでの『制限』ではなく、『不能』だ。

言葉をつむぐことが出来ない。
俺は何も言えない。
風子にも、渚にも・・・・。



「朋也くん。もう、私は要らないんですか?」
「え?」
「私が死んだら、もう、そこまでで、他の女の人に乗り換えてしまうんですか?」

・・・渚の言葉が、呪詛のように俺に突き刺さる。
的確に、俺の触れて欲しくないところをえぐっていく。

「汐を、私が命と引き換えに生んだ汐を、他の女の人にあげてしまうんですか?」

やめろ・・・そんな声を出さないでくれ

「私を好きだっていったのに、どうして?」
「あれは、嘘だったんですか?」
「二人で助け合って暮らした日々も、無しにしてしまうんですか?」

「やっぱり私は、泣き虫で、とろくて、何をやらせてもダメな、かわいくない女の子だったんですね。」

そんな言葉をはかないでくれ
そんな後ろ向きな言葉は――――




・・・お前の口から、聞きたくない







・・・・浅はかな、自分を呪う
渚をなくして、汐とともに生きてきて、そんな俺の前に現れた女性

いつもそばにいるようになって、安らぎを感じ始めて、渚がいた頃のような、そんな気持ちになって
だからって俺は、その子を自分のものにしたいと思うようになって 考え無しもいいところだ



俺は、渚を裏切って、傷つけていた
自分の愛した男が、他の女の元に行くというのは、それは冒涜に等しいだろう
それは女に対する最大の侮辱だ


おれはそれをへいきでやってのけようとした
渚のきもちもかんがえずに


「風子も、要らないんですか?」


・・・・そして、その風子すらも、おれはきずつけた ・・・・・・・。 おれはもう、ひとをすきになってはいけないのかもしれない――――




・・・・・・・・・。

ゆっくりと、意識が戻る。
・・・照明がついてる。
もう、夜だったのか・・・。

耳に入ってくるのは、楽しげな汐の声と


「ああっ、汐ちゃんさすがですっ。皿拭きまで出来るんですかっ。」


・・・・・・・好きとは言ってはいけなかった、女性の声。

俺は、何も言えなかった。
そのまま、狸寝入りを決め込む。

体も楽になっていたし、明日になれば動けるだろう。
俺は、出来ればもう一度眠ろうと、まぶたを閉じる。



その眠りに落ちるまでの間、
汐の迎えは誰がしてくれたのだろう、とか、

夕食の用意は、誰がしてくれたのだろう・・・とか、

この新しい氷の入った氷嚢は、誰が代えてくれたのだろう・・・・とか、

・・・・これだけの事をしてもらえるなんて、まるで渚のいた時みたいだ・・・・とか、
そんな事を考えていた。




それともうひとつ。


「毎日のようにやってきて、汐にちょっかいだして、元気に俺達の事振り回して、変な言動で俺達を笑わせて。」
「不意にしおらしくなって、でも素直じゃないところがあって、目的に向かって、いつも一生懸命で―――」


俺はこれらのことを、風子にあの時、俺の口から伝えただろうか・・・・と、

疑問を抱いていた。