「パパ。」
「ん?どした?汐。」
「ゆうやけ、きれい。」
「そうだな。綺麗だな・・。」


ある日の日曜の夕暮れ、俺は娘の汐と家路についていた。
死んだ妻の実家の、古河のパン屋の帰りである。

「いっぱい、遊んだな。」
「うん。」

今日も今日とて、あのオッサンと全力で勝負してきた。
汐はというと、早苗さんとキャッチボール。

汐は一生懸命走り回ったのか、汗びっしょりだった。
それが、肩車をする俺の手に、熱気として伝わってくる。

「メシ食ったら、銭湯に行こうな。」
「うん。」
「今日は風子が来てるはずだったな。」
「ふぅちゃんのごはん、たのしみ。」


汐を気に入り、毎日のように俺の家に押しかけていた風子。
俺はそんな風子についに根負けし、毎週日曜日に、汐を篭絡するための食事を用意することを許した。

もちろん篭絡させるというのは方便で、つまりは体のいい晩メシ当番だ。
風子はそんなことが許されるのならと、鬼のように料理の勉強をしてきているらしい。

「はんばーぐ・・。」

汐はというと、毎週好物のハンバーグが食べられると、日曜を楽しみにしている。
なんだか順調に篭絡されている気もしないでもないが・・・。


しばらくして、俺達のアパートに帰り着く。



「ただいまー。」
肩車していた汐を下ろし、俺はアパートの戸を開ける。

「もう、おそすぎですっ。ご飯の準備は出来てしまってますっ。」
それを、エプロン姿の風子が迎えた。
「何を怒ってるんだよ。」

「風子は怒ってませんっ。むしろ常に冷静沈着、真冬の湖のように澄んでいますっ。」
「ふうちゃん、ただいま。」

「はいっ、汐ちゃんおかえりなさいっ。」
「えらく態度が違うじゃないか・・・。」

満面の笑顔で汐に応える風子だった。



「今夜も汐ちゃんのために、風子特製ハンバーグです。」
「ふぅちゃんだいすきっ。」


ぎゅ〜っ


「・・・・・・・・・・・・♪」
汐に抱きしめられ、恍惚の表情を浮かべる風子。
「ほらほら、どけ風子。これから汐の着替えをするんだからな。」

それを引き剥がす。
「わあ。」
「何するんですかっ。風子と汐ちゃんの仲を引き裂くなんて、もう最悪ですっ。」

・・・ひょっとしたら妬いてるのかもしれないな。俺。


「ほれ。汐、ばんざいだ。」
汐に両手を上にあげることを促す。

ひょいと、その小さな手をあげる。
俺は汐の服のふちを持って上へ引っ張り、汗まみれの服を脱がせた。

「シャツも替えたほうがいいな・・・。」
「べたべたする・・・。」
俺は、同じ要領で汐のシャツも脱がせる。


「岡崎さんは、やっぱり汐ちゃんを脱がせて興奮してますかっ。」
「バ、バカ言えーーーーーーーーーーッ!!」


そばで俺達をじっと見ていた風子が、またそんなとんでもないことを言う。
「違うんですか。」

「そんなアホな事を聞くのに、真面目な顔をするな・・・。」
そしたら風子は、一人でなにやら考え出した。

俺はそんな風子を無視して、タンスから汐のシャツを取り出し、着せてやる。
「銭湯には、タオルだけでいいかな。」
それまでに、また汗をかいたのなら考えなければいけないけど。



「パパ。」
「ん?どうした。」
「トイレ。」
「ん。そうか。一人で大丈夫か?」

「うん。」
「よし。行って来な。」
「うん。」

とてとてとトイレに駆けていく。
あの様子からすると、大きいほうだな。
本当に一人で出来るかな・・・。



「岡崎さん。」
「あ?風子。どうした?」

考え込んでいた風子が、こちらを向く。
なんだか上気したような顔をしているが・・・・。

「さっきのことなのですがっ。」
「さっき?ああ、あのバカな事か。それがどうした?」

「それは風子を脱がせると興奮する、ということなのでしょうか。」



「・・・・・・・。」
「どうですかっ。」
「こ、この・・・。バカも休み休み言えーッ!」

「バカっていったほうがバカなんです。」
「子供みたいなこというな!大体なぁ、お前みたいなちんちくりんを脱がせたところで誰が興奮するって言うんだ!」

「そんなことはありませんっ。風子、十分に大人ですっ。出るとこ出て、白黒はっきりしてますっ!」
「何言ってんだ!お前なんて全然子供だっ!汐とほとんど変わらない幼児体型のくせに、そんなこというんじゃないっ!」

「いえ、岡崎さんは風子の肢体を見たが最後、この部屋は岡崎さんの鼻血で血の海になるはずですっ!」
「それは、あたかもマグロの解体処理所のようにっ!」

そのマグロとは魚のことなのか、はたまた考えちゃいけない別のものなのか・・・。



「ふんっ。だったら実際やってみようじゃないか!」
と言ってみたものの、どうせ風子のことだ。本当にやろうなんていうはずが・・。
「風子、受けてたちますっ!」

あるわけないってええーーーーーーッ!!?


・・・・・・・。


沈黙が降りる。
落ち着け。落ち着け俺。
大体、なんだってこんなことに・・・。

くッ。俺が必死に落ち着いて(矛盾)、状況を整理しようとしているのにその・・。 「・・・・・・。」

何でお前は顔赤らめてしおらしくなるんだーーーッ!!



「・・・風子は大人なんです。だから、大丈夫です。」
熱っぽい顔で俺を見る。

バ、バカ。そんな顔されたら、普段女としてみていなかった風子の事を、すごい意識してしまう・・・!!
くそぅ。大体俺は元妻帯者だって言うのに、他の女に気をとられるってことがどうかしてる。

そうだ。俺には渚がいるんだ。渚を思い出せ、渚のことを、渚の・・・。


「・・・・岡崎さん、意気地なしです。自分でいったのに、やらないんですか。」
「ぐ。」
「汐ちゃんはかわいそうです。こんなパパ、ちっとも頼りになりません。」
「ぐぐ。」 「岡崎さんは甲斐性無しですっ。」

「ぐぐぐぐ・・・・・・・・・おおおおおおおおおおっ!!!」
何でお前にそんなこと言われなくちゃいけないんだーーーーーーッ!!
そりゃ本当のことだけど、お前に言われたらなぜか腹が立つーーーーーーーッ!!!



「わ!岡崎さんが切れました!」
「ようしやってやる!まあどうせ、脈の一つも変わらないだろうけどな!」
半ば自棄で風子に啖呵を切る俺。
「きっと後悔しますっ!」

風子も負けじと叫ぶ。


「よし風子。そこに座れッ!」
びしっと床を指差す。

「なんか妙に迫力がありますっ。」
風子はそれにしたがって、俺の目の前の床に移動する。



床にぺたっと座る風子。
うむ。ではやるぞ。
許せ渚。これは男の威信をかけた戦いなのだ・・・。

もはや何を考えてるのか、自分でも分からなくなっている。



座り込んだ風子は、上目遣いに俺を見る。
む・・・。かわいい。

「むおおっ!」
頭を振ってその劣情を振り払う。
「いきなり頭を振ったりして、岡崎さんはやっぱり変な人ですっ。」

ぐ・・・。 しかし、これってやっぱりとんでもないことじゃないか・・。
ええいっ!いい加減迷いは捨てろっ!


俺も床に立膝に座って、風子の衣服に手を伸ばす。
上着のチャックに手をかけ、ゆっくりと下げる。


「・・・・・・・・・。」 風子はじっとそれを見つめている。
うわ。すごい悪いことしてる気がする・・・。

下まで下げきったそれは、風子の肩からぱさりと落ちる。
次は・・・次はシャツ。チェックのシャツだ。


「岡崎さん・・・、興奮してますか?」
風子がそう聞く。
顔は、耳まで赤い。

「・・・ふ、ふん。なんとも感じないなっ。」
自分で言っておいて思う。

絶対、負け惜しみだ――――




・・・・いやに世界が静かに感じる。
この閉鎖された部屋の中、聞こえるのは互いの息遣いと、時計の秒針の音だけ。


ぷち・・。ぷち・・・。


その中で大きく聞こえるのは、風子のボタンをはずす音。
風子の顔を見るのも恥ずかしいので、その作業を凝視し続ける。
・・・俺、いったい何やってるんだろう・・・。



「あの、岡崎さん。」
「んあっ!??あ、風子、何・・・?」

突然声をかけられて、体を震わせてしまう。
ああ、死ぬほど緊張してるじゃんか俺。
「風子の体は、大人ですか・・・・?」

「え、あ・・・・・。」
気がつくと、ボタンはとうに外し終えていて、その間から、下着と白い肌が視界に飛び込んできていた。
「シャツ、脱がすな・・・。」

「はいっ。」
んーっと目をつぶって、風子は両手を上げる。
さっきの汐の、ばんざいをやっているのか。
俺はそれに倣って、袖を握り、上からシャツを脱がせた。




渚以外の女性の下着姿。
風子の体は、やっぱり幼児体型で、何もかもがミニサイズ。

「・・・・・・・・・・・。」
その中で風子の下着は、意外にも黒だった。
しかしなんだか、サイズが合っていないのか肩紐が、何もしていないのにずれている。
それに肝心な部分も、隙間だらけでブカブカのような・・・。

「お姉ちゃんの、一番小さいのを借りたんです。風子はこんなの、持っていないですから。」
「まさか、お前こんなことのために?」

「そ、そんなわけないですっ。これは、風子の気まぐれですっ。突発的おしゃれ症候群なんですっ。」
わけの分からないことを言う。

風子も相当テンパっているようだ。
まあ、俺もかなり頭の中が白いわけで・・・。


風子の見た目は幼い。俺と同じ年とは思えないくらい。
ただ脱がせるだけでも心臓が跳ね上がるほどなのに、その容姿だと、なんだかこう、やっちゃいけないことをやってるような。
目の前に下着姿の小さな女の子がいる。それが俺を背徳的な気分にさせる。その一種の罪悪感が、余計に心臓をヒートアップさせていた。


「・・・参った。俺の負けだ。」
素直に負けを認める。

「わ、わかればいいんですっ。」
ぷいっと顔を背ける。

「ああ。風子は大人だ。子ども扱いして、悪かった。」
「なんだか素直で、気持ち悪いですっ。」



・・・・・・・・。

あ、どうしたんだろう。俺。
そんな風子の様子を見ていて、とてもかわいいと思えてしまった。

風子を女と意識したからだろうか。
普段からは考えもつかない事が、頭をめぐる。



「なあ、風子。」
「負け惜しみですかっ。」

「・・・・キス、したい。」
「―――――――――――――!!?」

風子の顔が真っ赤になる。
「キ、キスですか。ふ、ふふふ風子としたいんですか。」

「ああ。したい。」
「さ、最悪ですっ。風子の魅力で、汐ちゃんより先に、岡崎さんを懐柔してしまいましたっ。」
「風子は罪な女ですっ。」



ああ、そうか。俺、懐柔されてたんだ。
毎日のようにやってきて、汐にちょっかいだして、元気に俺達の事振り回して、変な言動で俺達を笑わせて。

不意にしおらしくなって、でも素直じゃないところがあって、目的に向かって、いつも一生懸命で―――
本人は自覚はないんだろうけど。でも俺、そんな風子に懐柔されてた。

・・・好きになってたんだ。



何でこんなアホなことやってる時に、気がつくんだろうな・・・。



「すまない。どうやら本当にそうみたいだ。俺、懐柔されちまったみたいだ。」
「お前、本当に罪な女だよな。」

「この美貌が恨めしいですっ。」
「だから、責任とってくれ。」

「せ、責任ですか。風子、困りました。風子は法にはあまり詳しくありません。」
「異議あり!!くらいしかわかりませんっ。」

・・・そりゃ法でもなんでもないが。

「風子。好きな奴はいるか?」
「す、好きな奴ですかっ。風子は、汐ちゃん以外何も見えませんっ。」
「じゃあ、キスしてもいいな。」

「な、何でそうなるんですかっ。話をちゃんと聞いて下さいっ。」
そういうものの、風子は逃げるでもなく、俺の顔をじっと見てる。
「風子はそうかも知れないけど、俺は風子が好きだ。」

「風子の美貌に惑わされた不幸な人ですっ。」
「風子が好きだ。だからキスしたい。こういうの、ダメか?」

「はう・・・・・・・。」 風子はいったん俺から顔を背けた後、もう一度こちらを向いて言った。

「ダメじゃない・・・・です。」


風子の目が、ためらいがちに閉じられる。
俺はゆっくりと風子に顔を近づけ、その小さな唇に――――




「やっとでた。」
「!!!!!!!!!!!!!!!」
「いっぱいでた。」

俺達の横に、ちょんと立つ汐の姿。
「ひとりでできた。」
満足そうな笑みを浮かべている。

「?」
そして、すぐに不思議そうな顔をする。


そうだった・・。汐を忘れていた・・・。
雰囲気にどっぷりつかっていたらしい。そんなことも忘れるなんて・・・。

「ふうちゃん、ごはん。」
「え!ええ!?」
汐に声をかけられて、風子も我に返る。

「ふうちゃんも、おきがえ?」
その姿を見て、汐が不思議そうに聞いてくる。

「汐ちゃん、やっぱり汐ちゃんのお父さんは最悪ですっ。」
あわてて衣服を正して、最悪の切り返しをする風子。
いつもの調子に戻っていた。

「ううん。パパ、やさしい。」
「いいえっ。風子、危うく手篭めにされるところでしたっ。」

「子供にそんな言葉使うな・・・。」
「てごめ?」

「お前も、そんなこと覚えなくていいから・・・。」
「てごめって、なに?」
「う・・・・っ。」

純粋なまなざしを俺に向ける汐。
その姿は、まるで俺の先ほどまでの行いを咎める、渚の姿に見えて仕方がなく・・・・。


「・・・・悪かった。」
ぺこっと頭を下げた。

「パパ、わるいことしたの?」
「ああそうだ。お前にも、ママにも、風子にもな。だから、ごめんなさい、だ。」

「うん。」
「分かればいいですっ。」
「ああ・・・・本当俺、どうかしてた・・・。」



・・・こういう言い方はいやなのだが、欲求不満なんだろうか。
じゃあさっきの風子への気持ちも、下着姿の彼女を見て沸いた、劣情によるものなのかと思うと、つくづく自分がいやになる・・・。
そんな下世話なことで、風子の心を傷つけたかもしれないと思うと・・・。



「でも、岡崎さん。」
「ん?」

「風子、それほどいやじゃなかったです。」
「それに、少しだけ嬉しかったです。」
「うれし、かった・・・?」

「少しだけです。そうです。変な意味はないんです。ただ、それだけなんです。」
そういって風子は、またぎゅっと汐を抱きしめた。


「・・・・・・・・。」
「風子。」
「なんですかっ。」
「来週も、来るのか?」
「もちろんですっ。」
はっきりと、そう答えた。

「また、今日みたいなことになるかもしれないぞ?」
「風子は誰にも止められませんっ。汐ちゃんを風子のものにするまではっ。」

「それに・・・。」
「それに?」
「そのときは、岡崎さんに責任を取ってもらいます。さっきのお返しです。」

「風子はお安くないです。覚悟しておいてください。」
「お、おい。責任って・・・。」


風子はにこっと笑って、こう答える。



「汐ちゃんの、お母さんになるんですっ!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・。

「ちょ、ちょっと待てーッ!!!!!」


俺のその行為に対する代償は、あまりに大きなものになりそうだった・・・・。